彼はページを繰り続ける。

不思議な男に、出会った。
彼は太陽の光を受けて燦然と、神々しく輝くステンドグラスを背に、大聖堂の中で1人静かに聖書を読んでいた。
疑問に思わなければならなかったのだが、その時その教会には彼以外誰もいなかった。が、私はそれを至極当然の事として受け入れた。 その光景があまりにも彼に似合いすぎていたからだろうか。
その男は、一目見たら忘れられないほど綺麗な金髪――それもとても長い――だった。 私自身にも何故かはよく判らないのだが、彼は大柄で、スーツの上からでも判るほど鍛えられた体躯をしていたのだが、どこか女性的な雰囲気も漂わせていた。 いや、何と言ったものか――中性的というか…男でも女でもどちらでもあり得るかの様な――。
とにかく彼は、闖入者が現れたにも拘らず、相変わらず聖書に目を落としていて、「やあ」と言った。まるで私が現れるのが判っていた様な、そしてとても親しげな口ぶりで。
「今日は素晴らしい青空だね」
ああ、そうだまず、何故私がこんな不似合いな場所に来たか説明しなくちゃいけないな。
仕事や家庭や人間関係…色んな嫌な事が少しずつ重なり続けて、私は何もかもにうんざりしていたのだ。人生に絶望したと言えば少しは聞こえが良いか。死にたいとは思わなかったが生きたいとも思っていなかった。 ふらふらと歩いていると、ここの教会が目に留まり、少しでも救われたいと足を踏み入れたのだった。
――あ、な…あんた、ここで何を…
実に愚かな事を訊いたと思う。教会で聖書を読んでいる。この行為に何か不満でもあったのだろうか?
「ここのステンドグラスがあまりにも美しくてね、惹かれて入ってきてしまった。人が造ったものでこれ程美しいものはそうないだろう」
彼は顔を上げた。彼の瞳は温かく知性的な光を湛えた金色で、太陽の様だった。眼を見ただけで、ああ、きっとこの男は私などとは違って沢山の人に愛されているに違いないと感じた。
二言三言会話をした。驚くべき事に、彼はその聖書をとうの昔に読み終わってまた内容も一字一句漏らさずすっかり頭に入れてしまっているそうなのだが、紙面に書かれた文字を読んでいくという行為が好きなのだという。 そう言いながら彼はまた本に眼を落とした。
私はこの自分より二回り以上は年下であろう男の、圧倒的な存在感に、酔った様な心地になっていた。たった2,3言、それも何の事は無い言葉を交わしただけで。
――ギル様。
いつの間に現れたのか、黒いスーツとタイトスカートに身を包んだブロンドの美女が彼のすぐ傍に立ち、何事か囁いた。彼は相変わらず聖書を見たままだ。
いきなり後ろの扉が大きな音を立てて開かれた。ほぼ同時にバタバタと教会中の扉が開かれ、驚いて振り返ると手に手に銃を持った黒服の人間達が何十人も雪崩込んできた。 先頭に立つリーダー格と思われる者はいかにも紳士然とした男であったが、その手に握られているものはステッキではなくライフルだった。その男が礼拝堂に浪々と声を響かせた。
――閣下、本日もご機嫌麗しゅう!そして恐れながら申し上げます、貴方には本日を以ってこの世界から消えて頂きます、閣下!
私は現在の状況におろおろとうろたえる事さえでき得なかった。この男達が何者なのかと推測する暇も無く。
――サー・ギル、いかに貴方方の組織といえど、我々の今日に至るまでの計画を知り得なかったでしょう、我々は貴方方の知らぬ所で来るべき今日と言う日の為の準備を進めていたのですよ。閣下、貴方の命を頂こう、即ち世界を!
彼は本に目を落としたままだ。彼はページを繰り続ける。傍らの女性も全く動じていない。
「”人生は一冊の書物に似ている”…」
静かに、しかし充分に響く彼の声を聞き、リーダー格の男が大袈裟に眉を寄せた。この状況で、余りにも落ち着いた声だったからだろう。
「”馬鹿者達はそれをパラパラとめくっているが、賢い人間は念入りに読む。何故なら、彼は唯一度しかそれを読む事ができないのを知っているからだ”」
パタリと閉じた本を、傍らの女性に手渡した。
「君達は物語の結末を知りたいと急ぐ余り、既に本をめくり終えた事にさえ気付かなかった。生き急ぐ必要などないにも拘わらず」
そう言って、彼は酷く緩慢な動作で立ち上がった。長い金髪がふわりとなびいた。
ユグドラシル。
立ち上がった彼の姿を見た私の頭に、ふっとそんな言葉が浮かんだ。
「外に…200、中に50、か。たったこれだけの人数かね?私に会うにしては少なすぎるな、残念だよ」
――だ、だッ、黙れェッ!
何が起こったのか判らなかった。
彼の余りにも落ち着いた態度、そして穏やかな表情に一種異常なまでの恐怖を感じていたであろう黒服達の、先頭にいた男がリーダーの命令も待たずにガタガタ震える手で銃を撃った。 相変わらず落ち着き払った態度のまま、彼が左手をすっと前方に差し出したのは判っている。そうやってピッと親指と中指を弾いた事も。
彼と銃を撃った男の中間の辺りの床に、銃弾が5つ程コロリと転がっていた――凍った銃弾が。
――ひッ!? あ、うぁ…!
――ぜッ全員、構えェッ!
「場をわきまえろ」
静かではあるが、鋭く発せられた彼の声にリーダーの男がびくりと震える。
「ここは聖なる神の家だ。それを汚す者はどうなるか、理解していよう…愚か者に、生きる価値はない」
そう低く呟いて、彼はとんと軽く地を蹴った…いや。
ふわりと浮かび上がったのだ。
輝く大聖堂のホールに浮かぶ彼。傍らにいた女性はその場で恭しく頭を下げている。光を帯びる金髪。誰の声も聞こえない。誰もが目を見開いて。時が止まったかの様な空間。美しいステンドグラス。
彼が両手を広げると、全てを包み込む様な3対の翼が大きく開かれた。
その時私は、まるでバックのステンドグラスに描かれた聖母の様に微笑む彼を見た。
「悔い改めよ」
そうして私達は最後に虹色の光を見た。それは、この世ならざる光景だった。


…目を開けた。私は気を失う事もなく、先刻と変わらぬ場所に立っていた――ただし、腰が抜けそうになってはいたが。
荒い呼吸で辺りを見ると、あれだけ凄まじい轟音だったというのに、教会内にあるものは何一つ壊れるどころか少しも傷ついておらず、それは私にしても同様で、けれども例の黒服達だけは1人残らずバタバタとそこら中に倒れていたのだ。 私はフッと、思った。きっと今の光はそういう風に、傷つけるべき者だけを傷つけるのだと。神の裁きの如く。
「聞こえてはいまいが一応言っておくよ、君達が今日ここでこうなる事も、もうずうっと前から計画書に記されていた事だったと」
――ギル様、組織への手配も完了済みです、残りの一味も本日中に拘束されるでしょう。
ブロンドの女性はそう言ってから、もうお帰りになられますか、と訊いた。
「いや…少し待て、コーリン」
コツコツと彼は私の方へ歩いてきた。断言するが彼からは圧迫感や特異なプレッシャーといったものは感じられない、が、たった今目の前で起こった事の所為で、私の身体はガクガクと震え、汗が噴き出ていた。
「可哀想に…酷く疲れきっているね」
震えが止まった。何故判るのだ。彼の金色の瞳が私を見詰め、手が私の顔の前に翳された。
「けれどそれは君の所為ではないのだ。いずれ私が全てを正しい道へと導こう、この涙を流し続けている世界をね。それは遠くない未来だ…それまでの間、ほんの少し君を助けてあげよう…」
彼の声が遠くに響いている。私は心に溜まっていた何もかもが洗われて行くのを感じていた……


私は殆どぶつかる様にして教会の扉を開け、転びかねない勢いで外へ出た。
倒れないのが不思議な程の足取りで歩いて行く。
ここへ来るまでに思い煩っていた事全てがどうでも良くなっていた。世界そのものが、まるで違ったものとして見えていた。そして私は泣いていた。 どうしようもなく涙が溢れ続ける。道行く人々が幾人も私を見ていたが、まるで気にならなかった。
どこへ行くのか。私は歩き続ける。涙を零し続ける。どこへ行くのだ。
どこでも良かった。どこへ行こうと、いつか必ず彼が導いてくれるだろう。
私は、神と出会ったのだ。





☆なじ☆
うおお長ェ!
すいません全部愛故です他のSSと違ってこれだけ壁紙があるのも愛故です。
壁紙、イタリアのドゥオモにしようかと思ったんですがこの話のはただの教会なので中止。でも場所はイタリアのどこかの教会。ステンドグラス綺麗な教会が沢山あるんですよね〜〜!
ギルの立ち姿の「世界樹を思わせた」って形容が凄く好です。素敵ぃ! 未だかつて人物の姿に対する例えで世界樹なんて見た事ないッスよ!いやん素敵!
あ、一応言っとくとこのギルは赤青じゃないッス!


04.9.26




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